三人は、別のフロアの仮眠室を使うことになった。
 さもありなん。給湯室の工事をいきなり始めることになったのだ。その騒音が三橋の気に障るだろうという配慮のもとであった。
 また、仮眠室で一人になっている三橋に、モモカンは誰かがハッキングしてきたデータおよびファームアップのデータを渡していた。無論、バーチャルネットゴーグルのそれである。
「ここ が、少し 機能が あがって ま す。」
 三橋のかたことの言葉は、どうやら何年たっても英語に慣れてしまったからというのが本当らしい。実際、英会話で会話するとスムーズに会話が弾む。さもありなんと考えながら、三橋はどんどんと修正案を出していく。
「三橋くん。」
 そこでモモカンがにこりと笑った。別名、悪魔の笑み。
「は はい。」
「そんなに無謀な頼みじゃないわよー。」と前置きしてから無謀な頼みをした。
「泉くんと田島くんのバーチャルネットゴーグルを最新版にしてみない?」


 三橋の目が点になり、そのあとぎょぎょぎょっと大きくなった。


「そ そ そんなっ」
「三橋くん、仕事やめてからもいろいろと考えていた注意点とかあったんでしょ?ストレス発散だと思ってやってみない?無論給料ははずむし、何より納期はいつでもいいの。先に論文とかを発表してもいいわ!いつでもいいから!」
「いつでも…?」
「そう。」
 にっこり。モモカンが微笑む。落ちるのはもうすぐ。
「田島くんにも泉くんにも、ほかのメンバーにも秘密にしておくから。」

 さあ、どうだ?

「す すこし かんがえ させて ください。」
「うん。急だからね。すぐに答えはでないよね。でも前向きに考えてもらえると嬉しいな。」
 三橋の返事はなかったが、車椅子がきぅっと鳴った。

「三橋ー。」
 別フロアの仮眠室。すぐには家は決まらないと泉が断言したおかげで、退去命令は今のところ不明である。裏では田島と泉が今ここからでてしまうと、三橋も釣られて近い場所に住む可能性がある。その場所のセキュリティなんてどうせ叩けば壊れるようなものであろう。そんな場所に彼は住ませられない。
 また、三橋を他の商売敵に勘づかれたくなかったからでもある。バーチャルネットゴーグルの基礎を作ったとされる本人がこの会社に入社しただけでも裏のほうでは既に騒ぎとなりつつあるのだ。

 それに全く気付かず、三橋はパソコンとにらめっこ。読みたい学術書があるのだが、住所をどこにすればいいかわからなくてぐるぐるしていた。
 夜遅くに帰ってきた田島と泉に発見されるまで、えんえんとぐるぐるしていたものだから「水谷に送れば?着払いで。」と人の悪い笑みをニシシと浮かべながらワルガキ田島が言う。三橋が提示した金額を見て、とりあえず水谷給料無くなって、住む場所も無くなるな。と泉が断言し、田島は諭吉さんが行列した後に将棋倒しになって死傷者がでるくらいの金額だな。と表現した。そのくらいの金額なのである。

 あーでもないこーでもないと言いながら寝息に代わり…

「あら、うちの経費から出すわよ?私名義で送ってくれれば良いわ。」

 次の日の朝、二人に部長室に連れて行ったら、モモカンのあっさりとした答えに田島と泉はずっこけ、三橋は驚きの目線であたふたしていたのである。

 経費で落とす落とさないで考えている時、久しぶりに浜田から電話。でてみてその話をすると、浜田は案の定大爆笑した。
『お前、それ経費で落とすとなると、完全に会社の人間扱いになるな。』
「そ…うなん だ。」
 書籍を読んでいた時も結構あったが、最新版をまとめて買うということはあまりなかった。アパートの中は狭く、車椅子の自分では隠す場所はあまりなかったのである。
「ば、バーチャル・ネット・ゴーグル……」
『お、最新版を作る事にしたのか?』
「たのま…れてる。」
 再度大爆笑。
「は、ハマ、ちゃん!」
『いやぁ、悪い悪い。いいんでないか?あいつらの鼻をあかすことになるぞ?』
 その言葉に返す言葉はなかった。しばらく沈黙が通話口を通る。
「あか すつもり は、ない よ?」
『でも実際、あそこの新商品がでないのも、ファームアップしかできないのも、三橋の技術がないからなぁ。』

 ああ、どこまで分かっているんだろう。

「ハマ ちゃん。」
『オレとお前は同期の桜?ってヤツ?それにオレは情報屋だし。』
 実際にあの場を見ていた者だし。と浜田は続ける。
『新しい地でモノを作るのも悪くないんじゃないか?』
「う ん……」
 歯切れの悪い三橋の答えに浜田は苦笑で答える。
『オレの答えとしてはそのまま経費で購入して、バージョンアップの前の段階で一つか二つ、論文を提出すれば良いんじゃないか?』
「う……」
 その言葉に完全に三橋は沈黙する。モモカンからも言われているのだ。
『その方があっちのほうへの牽制になるし、そっちの会社の株があがる。どうせその系統の研究をしているワケじゃないんだろ?昔はやってたようだけど…』
「う ん。」
 明日、前に研究していた所へ案内するとモモカンから言われている。さぞかし片づけがいがあるだろう。
『なら研究の続きをしちまえって。沢山実験体がいるぞ。』
「じっけん たい なん て!」
 浜田はそこでも笑った。
『あそこでは何もかも秘密で行われていたけど、今回は全員の協力を仰げる。急がなくていい。ゆっくりやればいいんだ。』
「う ん。」
『恐れるな…というのは無理だと思うけど、そろそろ昔の明るい顔のお前と話したい。』
「う ん。」
『だから三橋。重い腰を少しあげてみろ。』
「う ………ん。」

 また電話するな。と言って、浜田からの電話は切れた。

「研究………」
 バーチャル・ネット・ゴーグルはその副産物。自分の研究はまだ完成していない。
 背中からノートパソコンを取り出し、テキストファイルを取り出す。まだ書き上がっていない、複数の論文。
「やって いいの かな?」

 戻ってくる返事は、自分の心の中の声だけで。

 その日はなかなか寝付けなかった。