初めは、普通のサイトの明かりがちらちらと見える、暗闇だった。まだ開発中のバーチャルネットゴーグルを使用している時の事だ。
それがあっという間に賑やかになったネットワークを見て、三橋はいつも重いため息をついていた。販売されて一年以上経った頃だ。
まだ三橋が叶たちの会社に所属している時で、新商品開発の為に、とバーチャルネットゴーグルで潜った時だった。
既に同じサークルで知り合った叶以外の者たちは三橋を無視し、噂を聞き付けた後輩たちが見に来ては次々と部下へとなっていくと言った塩梅の中での潜り作業である。恥ずかしさと戸惑いと緊張の中での作業だが、ネットワークに潜っている時に会話ができるソフトウェアは今、三橋の頭の中にある。まだまだ発展途上のハードウェアを育てるのはソフトウェアだ。一つの力を10にも100にもできるのはハードウェアの底力もあるが、やはりソフトウェアの力が強い。
叶には言っていなかったが、三橋がこっそりとソフトウェアを開発して、同僚の浜田に渡し、浜田がそれらを誰か経由でアップロードしてもらっている。らしい。
らしいというのはもう自分のやっている事が手一杯で、それ以上の事は追跡できないからだ。
自分のソフトウェアは改変可能にしており、第三者が自由に手を加える事が可能だ。今、上を走っていった青年がつけているソフトウェアの端くれに自分の名前が入っていて照れ臭くなった。やはり自分は日陰にいるほうが良いと思う一瞬でもある。
その青年が立ち止まった。急に。
最初は驚いたが、何人も助けて…なんていうのはおこがましいが、何もできないよりかはましだろう。
彼を襲ったのはウイルス。恐らく…いや、実際、対ウイルスソフトは入っていない。この世界でもウイルスが入り、流行の兆しがあるのは三橋にも分かっていた。ソフトを作ろうか、と畠らに、浜田にも尋ねたが、双方ともに「ノー」だった。
前者はハードウェア保身の為に、後者は「それ専用の会社ができるはずだからそれを待て。」との言葉。成長する為の必要悪だと諭された。
確かにウイルスがないネットワークなんて今や考えられないし、バーチャルネットゴーグルの世界でもそうなのだろう。
青年のアバターにハッキング。勝手にワクチンを流し込む。亜種のようだったので、その場でプログラムを書き換えて再度流す。
目を覚ました青年に驚かれたので、英語で青年がウイルスに感染した事とワクチンを勝手に流し込んだ事を詫びる事を表示した。
『あなたがもしかして、NO nameですか?』と聞かれた。 回答は『想像はご勝手に』であった。
最初はただの名無しということでこのハンドルを使用していたが、この世界も狭い。すぐに名前だけ独り歩きしだした。バーチャルネットゴーグル上での救世主。とか。
目の前の青年も『ジーザス…』なんて呻いている。
これ以上詮索されるのは嫌だったので、その場を去ろうとした。
『待ってくれ!』
去る足が止まる。
『あなたがその人かは分からない。けど、僕の友達もあなたに助けられた。礼を言いたいと言っていた。…ありがとう。』
最後のところで三橋は地面を蹴っていた。二次元のサイト、増えてきた三次元のサイト、適当な場所を転々と移動を行って、日本のアキマル云々で止まった。頭を使いすぎて頭痛がする。もしかしたら夜にでも熱が出るかもしれない。
チャットをしているのか、妙に賑やかな場所は日本語で。楽しげで。
叶たちと楽しげに未来についてあーだこーだ言い合っていた頃を思い出して…。
泣いた。
潜っていた時間は2時間。三橋は目にたまっていた涙を拭った。後輩たちがわっと集まってくる。ウイルス駆除のデータがパソコン上に流れたのであろう。早速ワクチンについての意見が求められる。ウイルスはここのところ増えてきたものの亜種であることと、その駆除方法を簡単に説明した。その方法にぎょっとされたが、全員が聞き入る。 ここにいる全員がバーチャルネットゴーグルを利用し、三橋を中心に開発を行っている者たち…大切な部下だ。
身体がガチガチになっている事に気付き、頭を固定したまま筋肉をほぐす椅子みたいなのを作ってみたいな。とか思ったが、すぐに思考を切り替える。やはり速度が遅い。速くするプログラムについて検討を始める。一人で作れるが、自分たちの腕前も見て下さい。と熱心な後輩たちが揃っているのだ。
疲れた。という暇もなく、その場で会議が始まる。
毎日がこうだった。
仕事でがんじがらめの生活。アパートに帰れるのは週に一度あるかないか。三橋の頭も身体も疲労とストレスで満杯だった。
異常が出始めたのはその半年後。まず右足の動きが急に悪くなり、ついで左足。病院に行って、たらい回しにされても原因が分からない。最後に行ったのは精神科。過度のストレスが起こしたものだと言われた。何となく理解し、そして車椅子の生活になった。
みるみるうちに細くなる足にため息をつきながら、治そうと思えば治る足を治さなかったのは、叶たちに対する罪悪感だった。
研究も全て放り出した。全て後輩たちが行うだろうと思ったからだ。事実、後輩たちは三橋の研究を引き継いでうまくやっていた。
アパートに引きこもり、ぼうっとしてた時、浜田が見舞いにやって来た。最初は誰も受け入れなかった三橋だが、浜田の熱意により、自宅へとあげた。
三橋、痩せたな。
開口一番、浜田はそう言った。続けて美味いメシ作るから待っていろ。だった。
何故?と三橋は問うた。浜田は三橋の先輩であり、同じゼミの同輩(浜田は単位を落として1年ダブったのだ)だった。
当たり前だろ?友人が病気にかかったら見舞いに行くのは当然だろ?
その言葉に三橋は思わず浜田を凝視してしまった。そんなに見るなよ、照れ臭い。と浜田は苦笑したが、三橋は目から鱗が落ちる感覚を味わっていたのだ。
ぽろぽろと落ちる涙を拭いもせず、三橋は泣き続けた。 返りたい。と言った。帰りたい。と言った。
あの楽しかった時へ。辛いことしかないこの国ではない、この間偶然たどり着いた、日本語が飛び交い、賑やかなかの国へ。
ならかえるか?
浜田が優しく問うた。
なら返るか?それはもう無理だろう。部下たちには畏怖と尊敬の眼差しで見られるが、それだけでは難しい。実際に部下たちは良くやってくれている。そして帰るのは…パスポートとお金さえあれば帰れる。
その日のうちに退職届を書いて郵送で送った。畠たちは当然だ。という顔をするかもしれないが、一人だけ猛反対する存在がいるからだ。
なら、と浜田も会社を辞し、三橋と共に日本へと帰った。
三橋は暫く何もしたくない。と言ったが、オレも手伝うと浜田が言った。
嬉しくて泣いた。
パソコン一台あれば、三橋は何でも出来た。
浜田もいつの間にかヘルパーの資格をとり、三橋の手伝いを始めた。浜田はもともと情報をキャッチし、それを売る仕事も前にしていた(それにのめり込み単位を落とした)ので、三橋はそれを手伝いたいと言った。
浜田の頼みは大抵きき、パソコン上で何でもやった。三橋独特の第六感…と言おうか、サイバーポリスにも捕まらない、強力なハッカーが生まれた。
バーチャルネットゴーグルは暫く封印していたが、必要と感じ封印を解いた。浜田と話し合い、次々と改造を施した。アパートの運営も好調で、人が埋まらない時はなかった。三橋の生活は平穏そのものだった。
田島と泉が入居するまで。