忙しくもあり、忙しくもない日々が一ヶ月ほど続いた。雨の季節に入ってくると、三橋の調子がぐんと悪くなる。テンションが上がらないらしく、うだぁ、としている。
 三橋の携帯電話が鳴ったのはそんな雨の日であった。

 公衆電話

 表示はそれのみ。三橋は意を決して通話ボタンを押す。
「も、しもし。」
 田島も泉も、もとの仕事場で作業中。今いるのは三橋一人だけだ。
 相手は何も話さない。受話器を移動させたのか、外の賑やかな音が入る。

ココココ、ココンコン
ココココ、ココンコン

コン、コ、コココン


 モールス信号、英文の開始。

 一瞬で三橋の顔が明るくなる。この方法をとるのは一人しかいない。
 慌てて近くにあったメモとボールペンを取って、待ち構える。ややあって始まったのはローマ字の文章であった。


 トオイトコロニイルガ、ゲンキダ。ゲンキカ?

 GENNKIDAYO

 速すぎず、遅すぎないスピードで符号を打つ。なかなか難しい、と浜田と笑いあった日が懐かしい。

 ナニカアッタラデンゴンヲ,プランは1ケイユデ

 OK

 それだけ返すと、英文終了のココンココンコンという音と共に通話は切れた。
 2分もかからなかったそれに、三橋は小さく呻くと、バーチャルネットゴーグルの準備を始める。パソコンを接続し直し、さまざまなケーブルを取り付ける。慣れた手つきに見ている者がいたら感嘆のため息を漏らしていただろう。バーチャルネットゴーグルの接続には少々手間と知恵と多大なる慣れが必要である。
 繋げ終わるとソフトウェアを立ち上げながら頭をすっぽり覆うようなそれをかぶる。車椅子を操作してリクライニングにしたところでパソコンからバーチャルネットゴーグルに主導権が移行した視界の中で、エンターキーを押す。
 すぐに身体の重みは消え、形容し難い意識を電波に変換する作業を経て、意識は自分のホームへと移動したのであった。

 それなりの時間と金をつぎ込むと、やはりそれなりのホームができて、快適に過ごすことができる。システム開発者などは自作してしまうし、三橋の場合は出来る限りの出費で最大限の効率を叩きだすためにかなりいじっていた。無論三橋のそれは世界に一つしかない高性能なうえにさまざまなフィルターがかかっていない。三橋のホームは誰も入れない事を前提に作られているので…まあ、ごちゃーとしている。田島や泉が見たら「あー、三橋の部屋。」と頷いていたかもしれない。
 三橋はざっとプログラムを動かして、二日前に確認した時と変わらない事を確認。分身を作り、先に相手に送る。瞬時に姿を消した分身は瞬時に戻る。
 分身は一つの紙を持っている。『情報あります。お金より情報。』との内容に苦笑すると、分身と違う経路を使い、彼の元へと移動する。
『…横浜、川崎、品川、新橋、東京』
 今日のクイズは関西から関東までの東海道線全駅だった。前回はどこそこのサイトのパスワードで、調べるのに少し手間と時間を要した事を考えると、今回はおとなしい方だろう。
 全て入力を済ませると、再度ジャンプする位置が指定され、迂回は最低いくつと出てくる。プログラムを走らせ、また瞬時に移動する。慣れた者は無論、慣れない者は確実に酔うそれを全く気にしないでジャンプを繰り返す。
 最後のジャンプを終えると、目の前に何度も見たことのあるホームの外壁がある。
 三橋は両手を広げ、躊躇なく、その中へ入っていった。

「きょうへいのへや〜Kyohei's Room」

 入ると、電光掲示板ふうにそう書かれている。カウンターは千万単位で回っていて、三橋が見ている横で見知らぬ者がふむふむとブログを、あっちの者はホームページの内容を読んでいる。一日、千人単位で来訪者が来る、バーチャルネットゴーグル専用のサイトである。
 管理人はきょうへい。色んなデータをコメントをつけながら流している。日本語だけでないのがここのウリなのだろう。見ている半数以上が外人である。
 三橋は掲示板の床に指でつつつと円を書くと、

ドン!

 普段なら、現実なら動かない足で思い切りその円の中を踏みつける!
 瞬間、その穴は空間と化し、三橋はその穴に吸い込まれるように沈む。

「こんにちは、三橋。」
 とん、と床に降りると、早速話し掛けられた。
「こんにちは、秋丸さん。」
 双方ともに口を介さない会話なので速い。
「浜田との連絡をここに指定してくれたのは嬉しいけど、オレは高いよ?」
「わかってます。ハマち…浜田ぶんも含めて、こちらに。」
 ぽん、と三橋の手からぱんぱんの茶封筒が現れる。ほい、と投げると、秋丸の手に移動する。
「『次世代ネットワークについての考察』…これ、まだ発表されてない報告書じゃないの?」
「何を今さら。」
 三橋は表情を変えない。浜田から「何が起きても表情筋を動かすな」と言われている。
 理由は「声よりも雄弁だから。」

 …。

 だからトランプで勝てたことがないのかと三橋はかなり落ち込んだ記憶がある。
 浜田と仕事の話をしている時のみ、リアルでは無表情が通せない。そういう理由で分身も本体も、無表情で通しているのだ。
「その表情を出さないという手法を教えてくれるだけで半年は無料で情報を提供するのに」ときょうへいのおへやの管理人、きょうへいこと秋丸は 苦笑した。三橋はぴくりとも動かない。
「でもまあ、この情報だけで国が動くから。専用回線使ってオッケー、と。」
 秋丸が近くの端末を操作する。きゅんきゅんと音が鳴り、ランダムに場所を選んでいることが分かる。三橋のネットを空気のように使えるのは三橋とあと何人かで、あとはやはり既存のバーチャルネットゴーグルの支配下にあるので不便さは否めない。
「浜田くんは今、海外にいるよ。明日戻ってくるけど。」
 秋丸が情報を出し始めた。
「行く場所は三橋の住んでる会社の近くのコンビニ。昼休み。泉と田島の同行は認めるって。」
 三橋くんは浜田くんに何か言伝てある?
「死なない程度に戻ってくるように、とお願いできますか?」
 秋丸は一瞬きょとんとした後、わははと大笑いした。
「大事なことかと思ったよ!」
「今回は人死にがでてるから。…特に。」
「ああ、あれね。三橋も気を付けたほうがいい。」
「わかってます。」
「あ、これは消費税サービス。」
 三橋は再びランダムアクセスをしようと上を見た時、秋丸が笑いながら告げた。
「君の全ての原因が日本に向かっているよ。」
 三橋の表情が少し動いたような感じがした。
 そのあと、軽い会釈の後に戻っていった三橋の痕跡を追って…途中で見失って苦笑して。
「さあ、なんでこのパンはこんなにおいしくないんでしょーか…っと。」
 秋丸は楽しげにお仕事をするのであった。


 ランダムにかっとんで、自分のホームに戻ってきたのはそれから10分以上も時間をかけた後であった。ふうと息をついて表情筋の情報を戻すと、さらにはあ、とため息が出た。データの山と山の隙間に体を横にさせるとさらにふぅ。
「ハマちゃん…」
 色々と考える事があった。とりあえず話の交換ができる場所ができて良かったと正直思う。
 バーチャルネットゴーグルが使えなくなった浜田に擬似的に潜れる「もどき」を渡しておいて正解だった。
 もどきは制限を増やす代わりに全てがチープにできている。
 接続も、本体も、何もかも。脳や身体に異常が認められた場合のみ使用不可となるが、前に浜田用に作ったそれは、浜田の助言により封印された。
 発育途中の子供たちに悪影響を及ぼす。というのが理由だ。お年玉を2年ほど貯めれば購入できるくらいの安さ(本物はその5〜7倍)で購入でき、簡単に潜ることができる。それは現行ではやめておいたほうが良い。と同意に達するまで、そう時間はかからなかった。
 故にもどきを持っているのは浜田と、その試作品を作った三橋しかいない。これからどうなるかわからないが、田島や泉にも言えない事としてストックすることにした。
 その時、内線が入ってきた。普通のゴーグルにはこういう機能はないのだが、三橋はハンドメイドということで、さっさと機能をつけてしまった。相手は田島。時間を見るともう昼休みの時間だ。
 案の定、昼休みの食事の誘いだったので、二つ返事で答えると、迎えにいくからなー。と言って切られてしまった。
 わたわたとホームから出る準備を始めた三橋の顔は明るかった。