「これで…よ、し!」
三橋は自分のネット空間に降りて、早々に作業した。
寝坊した理由…夜中にアラートが三橋に新たな脅威が出現したことを告げたのだ。
前に作ったファイアウォールにひっかかったそれは、自動的に解析にまわされる。解析が遅いので、完全に新種だとあたりをつけるとビンゴ。早速ファイアウォールに新種がひっかかってもすぐに焼くよう命令を下して、自らは解析と対応策…ワクチンの作成なんてしてしまったら夜明けが間近の時間までかかってしまったのだ。三橋にとっては時間かけすぎだとちょっと落ち込んだついでに、珍しくふて寝なんぞをしてみた。結果、寝坊である。ワクチンは簡単なものは出来上がっていたが。
自分の論文や秘密のアイテムが流出してしまったらまずい。
朝一番に研究室に入ってやったことは、バーチャルネットワークゴーグルを頭にセットし、ネットの自分専用の部屋を強化することからであった。
それも終わり、面倒だからとその場でメールチェックを始める。三橋が活動を再開したとわかったとたんに世界中(日本は除く)の研究雑誌から依頼がきてしまったのだ。ピックアップはして、殆どは丁寧な断りのメールを入れる。三橋のバーチャルネットワークゴーグルは特別機なので、頭に思い描いた通りのメールが作成される。普通のゴーグルはキーボードがついているのだが、面倒だからと取り払ってしまったのだ。
メールが一段落したところで、今書いている論文を取り出した。参考文献、実験データも出し、昨日…は殆ど出来なかったので、一昨日まで書いたものを思い出す。
うーんと考えた後、新規のテキストファイルを作る。そこに日本語でだだーっと書く。あっという間にテキストは文字で埋め尽くされた。
どれだけ続けただろうか。三橋はアラート音と一緒に出てきた画像に、いったん作業を中断した。研究室に田島と泉がやってくる。と表示が出たのだ。
新規ファイルは名前をつけて保存し、他のはそのままにして、ネットワークの世界から抜け出たのであった。
ネットから切り離された精神は、がくんと急に重くなる独特の感触を経て、肉体へと戻る。この感覚が好きだという者もいれば、また逆の者もいる。三橋はどちらでもない。という感じである。ネットワークの中では制限なしに動かすことの出来る四肢は戻ることで車椅子へと固定される。両下肢が動かないのは自分が弱いからなのはわかっている。治すつもりがないのも逃げの一つなのだろう。
そんなことを思いながら瞼をこじ開けると…
「……」
『……』
田島と泉が覗きこんでいた。頭の整理が追い付かない。向こうも追い付かない。
「ぴぎゃっ!」
数秒後に訳のわからない叫び声をあげた時、二人も「うぉっ!」「あ。」と間抜けな声をあげた。
しばらく三人がめいめいの顔を見た後……
研究室に笑い声が響き渡った。
「オレら、三橋がゴーグル使ってんの、初めて見るから。」と、何だか照れくさそうに泉がコーヒーを淹れる。独特の香りが部屋に広がる。
「そーだぜ。三橋、アパートにいた時、パソコン使ってんのかも知らなかったし。」
こっちはふてくされたような声。田島だ。
「ひ、秘密にしてたわけじゃ…」
語尾は掠れて消える。確かに秘密にしてた訳ではない。ちょっとだけ誤魔化していたのだ。
ゴーグルを作りあげた後の周囲の視線を思い出すと、どうしても言い出せなかった。まあ、別の問題もあったけど。
「そか。」
田島はあっさり納得して
「…と言うと思ったか?」
くれなかった。泉を見ると彼も不満ありありな顔である。
「ちぇーっ!三橋がここまで詳しいんだったら色々教えてもらうんだった!」
田島の言葉に泉が頷く。
「待てよ?三橋がこんな使い手だった事を浜田も知ってるんだな?…知ってるか。よし。」
言うと泉はずんずんと歩き出す。
「浜田ん家知ってんのか?」
「この間ネットで曝された。」
「は…ハマちゃん、は。」
慌てて三橋が声を出す。
「今、行方不明で す。」
さらりとそのままの事を言ってしまう。二人はぎょっとして三橋を見る。
その視線に三橋はひぃぃと車椅子の中で小さくなる。
「三橋も知らんのか?」
「う ん。」
連絡は浜田側から入って、路上などでの会話が多かった為に、うっかり忘れていたのだ。
「ハマ、ちゃん…」
心配でいっぱいの三橋が呟くと、泉の目尻がきっと上がった。
「浜田は死なねぇ!」
「でももう、死人も、で、てる!」
声を荒げる泉に、三橋は思わず返してしまった。二人はぎょっとして三橋を見る。
「三橋…」
「お前、何を知ってるんだ?」
二人の言葉に、三橋は俯いた。今ここで正体を露にするのは得策ではない。
うーん、と三橋は考えた。プログラムよりも難しい問題だ。
「あ、そーだ。」
田島がぽん、と手を打った。なんだなんだと視線が集中する。
「鬼ごっこだ!」
はあ?と泉が語尾が尻上がりになり、はあ。と三橋が尻下がりで答えた。
「車椅子vs成人男性がか?」
「違う!ネット上で!」
言うと田島はわくわくした顔で言い出した。要はゴーグル開発者のオリジナルとどう違うのか見てみたいのだ。
「オレらが勝ったら洗いざらい全部吐いてもらう。三橋が勝ったら…」
そこで田島が止まる。あーもうと泉が吼える。
「一ヶ月食事洗濯!」
む。と三橋が表情を変える。なかなか悪くない。
「さらに掃除も付けた!」
泉のとどめに三橋が負けた。
「わ かりまし た。」
その時、いきなり内線が鳴ったもんだから三人は飛び上がって驚いた。
田島が受話器をとると、怒りをはらんだ阿部の声で、田島はようやく何でここに来たか思い出した。
「三橋!阿部が呼んでるんだった!」
「新しいウイルスの件で。」
田島の言葉を泉が引き継ぐ。三橋はうん。と頷く。
「今すぐ平気か?」
心配して泉がたずねる。三橋は平気と頷くと、目の前にあったノートパソコンのふたを慌てて閉じ、電源を抜くと、それを車椅子の後ろにあるバッグにしまう。
「いい よ!」
「よっしゃ!」
田島がまたものすごい勢いで車椅子を押す。ヒイィとあがる悲鳴に泉の鉄拳制裁が田島に落ちる。
それは三人のいつもの光景であった。
三橋が田島たちの仕事をしているフロアに向かうと、悲鳴が聞こえる。主は水谷だ。
「解析してたら感染したみたい。」
全くらしいと言えばらしい水谷にクソレコールが起きる。こっちもかなりなげやりの適当である。
「あー。田島、泉、三橋、お前らも手伝え。」
三人の姿を見つけた花井が早速頼んでくる。
「了解!」
わざとらしくぴっと敬礼すると、三橋の車椅子を押す。ケーブルやパソコンがうようよしているので田島はゆっくりと(比較的だが)車椅子を押して、自分たちの場所にたどり着く。はーっと息をついていると「さっさとしろ!」との阿部様が追い打ちをかける。
「はー。しばらくこれで不眠不休かぁ。」
「三橋は適当な時間にモモカンが戻して…て、三橋、なにやってる?」
三橋は背中から取り出したノートパソコンを立ち上げると、ゆっくりとキーボードを叩く。ややあって、泉にメールを送った事を告げた。
「添付?ウイルスじゃねぇだろな。」と三橋から届いたメールを見る。
「ウイルスの……だ よ。」
小さく聞こえた恐ろしいキーワードに二人は硬直する。
「三橋、これまだワクチンできてねぇんだけど。」
苛々と口を開いたのは泉だ。感染したのだろうか、黒い画面が白い文字をどんどんスクロールさせていく。
「ワクチン…」
半泣きで三橋は答える。
「へ?」
今度は泉のみが硬直。田島は身を乗り出すと、三橋の解読が難しいと言われるキョドり中の話を聴いている。と、だんだん田島の顔が明るく興奮したようなそれに変わる。
「それ本当か?遅刻しそこないなんて問題ねーよ!オレのパソコンにも送ってくれ!」
あ…とかう…とかの三橋独特の話からどう読むのか、田島は三橋との会話をスムーズに行える唯一の人間だ。その田島はウキウキと自分のパソコンの前で、「はよこーい」と言っている。
「田島、三橋は何て?」
「ん?ワクチンの骨組みを作ったから寝坊したって。」
お、メールきた!と田島が喜んでいる時、三橋が口を開く。
「泉くん スキャン して、る。」
見ると目を通していないメールの一つが感染していることを告げるメッセージが流れ、「ウイルスを排除しますか?」という画面が出た。すかさず「はい」を押すとカリカリカリとハードディスクが鳴る。
「ま まだ、これに似たウイルスの、ワクチンは出来上がって…ま せん。」
「そんなん花井や阿部に任せりゃいいんだよ!花井!阿部!ウイルス解析とワクチンの骨組みできてんぞ!」
なんだと?!と二人がずんずんとやってくる。
「亜流には非対応だけどスキャン付き。」
「ち、ちょっと待て。」
田島の言葉を遮って花井が声をあげる。三橋はぴゃっと手で頭をおさえる。阿部のウメボシ対策であろう。
阿部のほうは解析されたウイルスを見て目をギンギラさせている。怖い。
「三橋!」
「ひゃ、ひゃい!」
阿部は車椅子の持ち手を持つと、「オレの課にすぐ来い」とか言い出した。
「阿部!」
「それは許さない!」
「どりゃっ!」
田島の手刀が阿部の両手を持ち手から外す。
「何すんだ!」
「それはこっちのセリフだ!」
「おい、やめろ二人とも…」
花井の言葉なんて聞く耳持たないと臨戦体制に入る二人。
「はーい、そこまで。」
モモカンの自力金剛輪が田島と阿部に決まった時、水谷を初めとする外野はひゅ〜と逃げていったのである。それはまさに慣れ以外の何物でもなかった…。