「あれ?」
泉が声をあげたのは、前に三橋が「道に迷って」と言っていたフロアだった。
「ここ、会議室フロアじゃないンスか?」
田島が尋ねる。モモカンは口元に笑みを浮かべながら「そうよ」と頷いた。
「え?じゃあ三橋、会議室に缶詰め?」
「それは違うわ…はい、社員証出して。」
この会社の社員証はICチップが入っており、入退室はおろか、社員食堂の会計にも使用される。全くもってありがたいシロモノだけど、落としたりなくしたりした場合、始末書、上司からのお叱りの上に実費で作り直さないといけない。その間はゲストカードを使用するので社員食堂は使えないやら色々と面倒なことが起こる。『サイフと携帯忘れても社員証は忘れるな』とは西広先生のありがたい忠告である。
「あ、携帯の電源切っといて。センサーに引っ掛かるから。」
言われ、二人は慌て携帯の電源を切る。
「はい、社員証タッチ。」
「はい、右手くっ付けて。次左手。」
「ちょっとしゃがむけど右目…はい、左目。」
なんなんだこのセキュリティはと驚いてる中、最後にもう一度社員証を通す。
『タジマユウイチロウ サマ確認シマシタ。イズミコウスケ サマ確認シマシタ。モモエマリア サマオハヨウゴザイマス』
合成の女性の声で読み上げられ、ちょっとヒいている二人をよそに、ドアが横にスライドする。
「はい、三橋くんの研究室に到着!」
やや広いその部屋は思った以上に狭く感じる。
理由はある。
埋め尽くされた本とパソコン、それらがデスクの上にてんこ盛りなのだ。
どこかでキーボードを叩く音がする。主は今手が離せないようだ。
「三橋くん。来たわよ。」
モモカンが近づいたが、キーボードの音は止まらなかった。
「あらら。こうなっちゃうと何話しかけても分からないのよね。」とモモカン苦笑。
三橋はディスプレイを見ながら一心不乱にキーボードを叩いている。何か調子が上向きなのだろう。キーボードの音がいっそ軽快に聞こえる。
「じゃあ、三橋くんの意識がこっちに戻ってくるまでは主だったことは言わないけど、これから、バーチャルネットゴーグルのメンテナンスは全て三橋くんがやってくれます。」
専門家だもんね。とちらり見てモモカン苦笑。
「部長は三橋がこんなに近くに住んでたこと知ってたんですか?」
泉が尋ねる。それに対する答えは「ノー」。彼らのアパートが全焼して、彼を連れてくるまでは本人かわからなかったとの事。
「まあ、三橋くんのヘルパーの浜田くんいるでしょ?前に勧誘した時に三橋くんの手伝いするから駄目だって言われたの。その時は後輩?の面倒を見るとかしか言わなかったけど、まさか三橋くんだったとは驚きだったわよ。」
今日は良く苦笑いを浮かべる日だ、とモモカンはやはり苦笑。
「仮眠室生活は…」
「そ。車椅子の三橋くんを守るため。」
三橋くんだって危ない橋を渡ってたから。と続ける。
「え、三橋何やってたンスか?」
田島が言うとモモカンは苦り切った顔をした。
「まあ、それは本人から…でいいかしら?」
二人とも不満だったが、モモカン自身も「カマかけてわかったようなものだから。」と言い、取り合わなかった。
…と、キーボードの音が止まった。
「あ、れ?」
三橋は慌て時計を見る。付箋紙に30分後セットOKと書かれているが、その時間からさらに30分経過している。
「あ、お。オレ」
「あまりにも気持ちよさそうにキーボード叩いてたから、ここで話ししてたんだぞ。三橋のあーんなことやこーんなこと…」
「わわ、わ!」
ディスプレイに向けていた顔とは大違い。 その差に二人はたまらず吹き出した。
ちょっとの間困った顔して二人やらモモカンやらをみていたが、三橋も「ウヒ。」と笑う。
本とパソコンとデスクという無機質な部屋に、笑い声が満ちた。
ややあって「さて。」とモモカンが表情を仕事モードに変えたので、反射的に三人は居ずまいを正す。
「まだ志賀本部長と話にのみあがっていますが。」
コホンと一息ついてモモカンは一気に言う。
「9課を正式に独立させる予定です。」
三人は少しの間ぽかーんとしたが、反応したのは田島だった。
「これから花井とか阿部とかにぎゃーぎゃー言われなくてすむ!」
いやっほーい!と喜ぶ田島だが泉は違う。
「三橋も9課に確実に入るということですか?」
「うん。その話もでてきたから言うけど、まだこれは決定事項じゃないの。でも、三橋くんには辞令が近々おりるわ。」
「へ?」
田島に抱きつかれて車椅子倒れないか心配しだしてた三橋は突然名前を呼ばれモモカンを見る。
「三橋くんは9課分室対ネットワーク研究室主任、ということで。」
きょっという不可思議な音が三橋から出た。
「この間、泉くんと田島くんは自由に使っていいから。」
あ、使うときは一応あたしに報告ね。とモモカンは続ける。
「主任?」
自身を指さし三橋は呟く。
「三橋ならコキ使われても全然おっけー!」
再びぎゅむーと三橋に抱きつく田島を殴りひっぺがしながら泉も満更でもない顔をしている。
「三橋くんはまだ会社のシステムに慣れてないし、車椅子だからね。今までの功績を考えたら課長でも良いくらいなんだけど…」
「いいですいいです!」
両手をぶんぶん振って断わる三橋。
「ならいいけど。…今日は時間あげるから、三人で今の状況とか色々話し合いをして。ただし三橋くんは今論文書いているからね。」
しっかりと釘を刺すところは刺しておき、モモカンは去っていった。
「さて、と。」
泉はぽつり言うと三橋に視線を合わせる。ぴゃっと声をあげる三橋。
「まずは片付けないと話しは始まらねぇな。」
「セーリセートンすっから指示してくれ〜」
田島がはいはい〜と手を挙げる。
「え、い、いい、の?」
「まずオレらの居場所を作るためにもな。」
泉の言葉にちょっとそんなに荒れてるかな?荒れてるね。と答えを出すと、がしゃんと車椅子のブレーキを外した。
「で、では、お願い、します。」
ぺこりと礼をして、おう!と二人が答える。
やっかましい10時の休憩時報(これも聞き漏らす時があることが二人にばれてさんざん怒られた)でひと休憩。朝一番で初めて、田島、泉の場所がとりあえず確保されたのは昼休みのやかましい時報を少し過ぎた頃となったのであり、その場所で最初にやった作業は、二人して一度フロアに戻り、弁当をとってきて、三人で食べることであった。