「入出先、わりだせねぇ。」
 阿部が呻く。どうやら必死に捜索していたようだ。曰く、「最低で100か所は経由している」。そこまで短時間で掴んだ阿部も阿部だが、それを出し抜く相手も相手だ。「先がヤバすぎる所だから行けなかった……」と悔しそうだ。さっそくやら水谷やらを蹴っ飛ばしてる。ひぃぃっ

 花井は自身の胃袋のためにそれを一切無視し、「ああ、この解凍方法はもうすさまじく前にgifとかを送るための方法だ。」と伝える。まだ若い二人は顔を見合わせあって、それから二人して同じ事を言った。
「花井!そこらへんのウイルスとか教えろ!」
「花井!お前のパソコン歴何年だよ!そこらへん含めて教えろ!」

…若干、泉のほうが長かったが。

 そうくるよな。と花井はため息をつくと「三橋に連絡しておけ。しばらくの間1時間ほど帰るのが遅くなるって。」と言った。しぶしぶ。

 いやっほい!と田島と泉はハイタッチした。

 しぎゃぁぁぁぁ!ととどめをさされた水谷が吠えた。うるさいと阿部ともども西広と沖、巣山による事務用品による実力行使が行われたようだ。
水谷と阿部は同時に床に沈む。
「やっぱり数の暴力には勝てないね。」
 缶コーヒーを買いに席を外していてその瞬間しか見ていなかった栄口は、地に伏した二人を、定規やら修正テープを持ちながら(刃物や危険物はイケナイ、とモモカンにきつく言われている)満足げな三人を、青い顔して胃薬飲んでいる花井を。うきうき顔して「あのメール自慢しよーぜ!」と言いあっている二人にそれぞれ視線を移しながら、缶コーヒーを開け、口をつけたのであった…。



 その頃、百枝部長は複数の他の部からの苦情をにこやかに受けて流していた。内容は世界中から問い合わせが殺到しているとの事。内容はこの間奇妙な偶然と必然が重なって、自分の会社へと無理やりに引きずり込んだ三橋 廉という者が発表した内容によるものだった。何年かぶりの寄稿。
その内容の緻密さと正確さ。それはいっそ非情なまでの理論。論破できない鉄壁の言語とデータの組立て。実に申し分のないものであった。彼の完全復活を喜ぶのはまだ早い。彼には更なる進化をしてもらわないと困る。誰が?彼本人が。ここの部の全員が。
 最初は10名もいかない人数で始めたこの部も、今やかなりの人数を用いて動いている。この大きな会社の中でも発展はめざましく、雨後の筍のごとく成績を残し、のし上がってきている。閉鎖された研究室を何かに使えると思い、上の者に志賀と頭をさげて百枝預かりにしたのはまさしく僥倖だった。そのおかげで類を見ない中途半端な研究者が憑かれたように研究と、他の作業を手掛けているのだ。

 彼を知ったのは正しく偶然。彼をスカウトしたくてもできずに悔しがったのは昔。その悔しがり加減がもとで彼に近しい者と偶然に出会うきっかけとなる。
「百枝…部長でしたよね。」
 彼はぺしっ、とエンターキーを押した。結果を見ることもなく閉じられたノートパソコンから視線を移すと明らかに染めたとわかる黄色い髪。はま…浜田だ。下の名前までは掴むことができなかった。幾度もメールをやり取りして、今日、この賑やかなチェーン店のコーヒーショップの中にいる。
「ええ、浜田くん…とお呼びすれば良いかしら?」
「どうとでも。」
 ノートパソコンには全く興味を示さず、百枝が座るのを見ている姿は、凄腕のハッカーで、それで生計をたてている者には到底見えない。ハッキングもクラッキングもできる高級な人材が二人、そのレベルに達しているのが数名いて、そのレベルの達している者数名でようやく課をたちあげたばかりの頃だ。高級な人材は学生なのでともかくとして、彼は到底無理なので、彼に近しい者、そして同じ技術を知っている者を勧誘しに来たのだ。

 だが、彼は笑いながらその話を断ってきた。

 いやぁ、すみません。オレ、これから一人を介護しようと思ってるんです。この仕事は今のでおしまい。

 誰の?と訊いたところ、昔会社にいた頃の後輩という驚くべき回答が待っていた。その後輩はストレスから両足が動かなくなり、人生を半分やめているとの事だった。かの者を調べたら同じような回答を得た。浜田はこれから彼のヘルパーをするのだと言う。

「彼の腕前は凄い。会社で研究していた頃から、彼の作ったものはこれから世界で売られるだろう…けど、ヤツはこのプロジェクトに関与していないことになる…もったいない事だ。」と言い、冷めたコーヒーを飲んだ。

 博士号を3つ持ち、それが全て別のジャンルにまたがっている、天才。
 彼にまたやる気を持たせるのがオレの役目だと思うんです。エゴかもしれないけど、あいつは今、一人にしてはいけない。彼はコンピュータに愛されたヤツだから。

 その時、は、と自分の顔を見て、彼は照れ臭そうな顔をした。自分が言っていた純粋な所が顔を真っ赤にするという所業に出たのだろう。
 彼はまだ人の前に出ては無理だと思う。でも…もし、オレに何かあって、あいつに何かあった場合、あなたの所へと預けて良いですか?

 勿論いいわよ。と答えた。彼がこれから介護しようとしている後輩は、ネットの世界をかえてしまった者なのだ。

 汎用型のバーチャル・ネット・ゴーグルの開発には確かに名前が載っていない。だが、設計などを行ったのはその本人であることを知っているのはこの業界の者であれば当たり前の事である。そしてその会社の研究所を辞めたときいた者は、大金と役職を持って、次々と自分の会社に来ないかと百枝のようにヘッドハンティングにあたったのだが、彼の前に違う者が秘書的な役割を果たし、全てのヘッドハンティングを追い返したという事だった。全く、業界は狭いのである。この話も有名である。

 もしかしなくても、彼が望んだら私の所を選ぶようにしてね。浜田くん。

 そうですね。オレはそれまでアイツ…三橋の介護にまわります。オレが姿を見せなくても、三橋を預けることになるかもしれない。それまでは……

 ええ、わかったわ。ありがとう。私を信じてくれて。

 百枝さんには感謝していますし、信頼もしてますから。

 百枝は席をたつ。彼から信用を得るためにかなりのバックアップを行った。それこそ違法にあたるまでだ。それこそ毎日どれだけメールのやりとりを行っただろう。偶然が偶然を呼び、青田買いを決めていた二人の学生の一人が浜田の昔の後輩であることが分かった。ちょうど二人は大きな会社と派手にドンパチやって、警察に見つかるかもしれないという状況にあった。今、手を差し伸べないと、次に会うのは高い塀から出てきた時になる。そろそろ彼らの退学届が受理されている時間帯だ。他の会社に取られる前に自分がかっさらわないといけない。攫ったからには徹底的に手厚い保護をしなければならない。アパートからも逃げてくる二人を匿い、少しの間偽名を使ってもらうこともやぶさかではない。少し時間が経過したら、また元の生活をすればよいだろうと思っている。その為に志賀と話し合い、会社が様々な事をするために高い金を払って雇っている弁護士やらなにやらがいるのだ。

 ではまた。とそこを去った。これから二人との合流地点に行かないといけない。二人を連れて会社へ戻れば、彼と殆ど歳が変わらない部下たちが待っている。千代ちゃんが今飲んでいたコーヒーとは違い、温かいコーヒーを出してくれるだろう。
 また、いつか彼を受け入れる時、できる限り自然に受け入れることにしよう。どんなに人が多くなっても。

 のちにモモカンと畏怖と驚嘆のあだ名で呼ばれる彼女は、くすりと笑うと会計をすませて外へと出た。白い息。雪がちらちらと降ってきた。

 願わくば、ひびがいってしまった歯車の中心が自分のもとに預けられればと思いながら。都会の雪はすぐに溶けるものだから。

 何年も待つことになるかもしれない。でもそれでも彼は来るだろう。

 まさかその二人がくらすアパートの管理人になるとは露ほども思わず、百枝は雪の中を合流地点に向けて歩きだしたのであった。


→→→→→