最後の練習が終わった。それぞれダウンして部室へと戻るためによれよれとチャリをこぐ。
 三橋の「投げる」の凄さは分かったが、「打つ」ほうはてんでダメということが分かった。それを正している余裕は全くない。明日が練習試合なのだ。とりあえず、そう、本当にとりあえず、明日だけのバッテリーとしての最低限はやった、と思う。だけど、それは表面上のことだけ。表面化は海に浮かぶ船のようで、船底をぺらりとめくればそこは未知の世界だ。
 阿部は、というより、「捕手」としての阿部は、「投手」としての三橋はどうしても手にしておきたい人物だ。「あの」性格もどうにかなるんじゃないか?と今の状態では、この冷静な状態では、考えられる。
 部室に戻ると2〜3人、くっちゃべりながら着替えている。阿部もその中に加わり、さっさと汚れまみれ、汗まみれの練習着から私服へと着替える。その間にもぞろぞろと人が入ってきてわいわいがやがやと一気に人口密度があがる。
「早くしろー、さっさとカギ閉めちまうぞ!」
 花井の急かす声に半裸でギャーギャー言い合っていた奴らが慌てて着替える。

 と、窓側を見る。のたのたとだが、一生懸命服を着替えている姿。三橋だ。

 同時に違う行動が出来ないタイプの男に、今話しかけてもダメなので、帰り際に話しかけようとする。ズボンにTシャツ、上着を着るのに何でこんなに時間がかかるのか?と思うくらい時間がかかる。イラッとした所で三橋が飛び上がった。どうやら気配を読まれていたらしい。パーカーの左袖をひっかけてしまい、あたふた、あたふた。左袖が着られたら今度は右袖が見あたらなくてキョロキョロ、あたふた、あたふた。

 田島は獣を隠している野球バカだが、こいつは野球バカを隠している小動物か?

 ちなみに獣と書いて「ケモノ」と読むか「ケダモノ」と読むかは田島の日常において、微妙に変化するな…。

 バカな事考えちまった。と一人やさぐれていると、三橋が着替え終わったらしく、リュックに服とかを詰め込んで、ぱんぱんにしている。「よいしょ。」と背負うと、自分と、阿部と視線が合う。
「明日は試合だな。」
 とりあえず、話しかけてみる。キレないように。キレないように…。
「う うん。」
 三橋はもうキョドり始めている。視線を感じてる。花井と栄口と泉の視線だ。不安そうな視線、おいおいという視線、何やってんだ?という視線が自分の背中にぎしぎしと当たる。
「とりあえず、明日だけだけど、バッテリー組むから…。」

 すっ。

 手を、

 手を、差し出してみた。

「…よろしく。」
 三橋はキョドキョドしながらそっと手を差し出してきた。小動物ぶりにスプーン小さじ半分ほどキレて、無理矢理その手を握る。
「う…あ…あ…よ よろし くお、ねがいしま す。」
 握り替えしてきた手。右手。その手にいつかの日を思い出す。
 ゴツゴツとした、このヒョロヒョロした体に似合わない手。あの時泉か誰かが「帰宅部」と答えていた?そうだ、あの漫研に口八丁で7組取られてイライラしながら9組に入った時にぶつかられて転んばられた時、差し出して、無理矢理握った、手。冷たい、手。

 そうだ。こいつに手を差し出した時だ。あの時は「ウザそうな手」と思ったが…。

 手を掴んだだけで、何となく分かる。指が硬いのはコブだ。タコを作りすぎるとコブになる。そのコブの位置は…。
「あ…あの……。」
 三橋の声ではっと我にかえった。「すまん」と言って、脅えさせないよう、ゆっくりと手を離す。
「三橋ー、途中まで帰ろう!」という栄口の声に「あ…う、うん。」と答えながらリュックを背負うと、「おつー。」「おつかれさま でし た。」という声と共に去っていく。
「どうした?阿部。」
 握っていた左手をそのままに呆然としていた阿部に(恐る恐る)話しかけたのは水谷から(キモいからお願いッ)光線と(キャプなんだから訊けよ)光線を発していた泉に勝てなかった花井である。
「…タコ。」
「いやオレ、伸ばすと天パで…って、違う!なんだ。いきなり、ケンカ売るのか?」
 いきなりの言葉にどっと疲れを感じつつ問う花井。疲れてます。
「あいつの右手、タコばかりだった。」
 はぁ?と今度は花井の他に水谷、泉、巣山、西広が混ざってくる。
「タコができるってどういう…こと?」
 野球初心者である西広が近くにいた水谷に尋ねる。
「うーん。西広さ、ずっと同じペンの持ち方してると、マメできるよな?」
 ああ。そうだね。と答える西広に近くにいた巣山が続ける。
「そのマメが何度もつぶれるとタコになるんだ。だからペンだこって言うだろ?…三橋にはそのタコが何カ所もあったってことだろ?阿部。」
「ああ。スライダーにカーブに…シュート…と何か…。」
 何かってなんだよーっと周囲がつっこむ中、阿部はまだ左手をそのままにしていた。

 9分割なんてそうそう出来ない。できるはずがない。ありえない。

 でも、この左手を握った男はそれをやってのけてしまった。

「スゲぇヤツ………」
 ぽつりと言った阿部の言葉は花井以外誰にも聞こえなかった。

「おーい、いい加減にしろ。閉め出すぞコラ!」
 いつもならパンツ一丁でギャハハハと笑う田島がいないと静かだなぁと思いつつ部員を外につまみ出す。
「ほれ、阿部。」
「…う。ああ。」
 そこではじめて阿部は握った形のままだった左の手をぎゅっと握った。…で、思い出す。
「おい、花井。」
 何だ?という言葉に阿部は珍しく慌てた。
「三橋に練習する場所と時間言ったか?」
 ややあって、花井の頭からザーッと血の気が引いた。忘れてた。
「まだ栄口と走ってるといいけど…。」
 水谷の言葉に慌てて栄口の電話にコールする花井。ややあって「もしもし、栄口、三橋そこにいるか?……いる!よかった〜。」との言葉にそこにいた全員がほっとした。

 もしかしたら、この急ごしらえのバッテリーよりも、周囲のほうが地に足がついていなかったのではと思う巣山であった…。