「いや、いきなり阿部が来て、オレも三橋もびっくりしたよ。」
次の休み時間、泉に尋ねたら開口一番にこう答えられた。
阿部は休んでいる田島の席に座って黙々と昼食を食べた後、すでに食べ終えていた三橋に基本的なサインを教えていたらしい。三橋も一生懸命覚えているが、あまりにキョドキョドするので阿部がキレて怒鳴って泣かせたらしい。簡単に想像できるその姿に花井はため息をついた。
「明日から栄口も9組に行ってもらうよう頼んどくよ。」
「…そうだな。どうやらサインはとんでもない数になるみたいだから。」
「へ?」
そりゃそーだろ。と泉は答える。
「9分割の上に4つの変化球。それをサインで意のままに操れるんだから。」
「…そだな。」
そう言われて花井はそのことに改めて気づく。
「今日の投球練習は昼休みの復習とそれと少し応用を加えるとか言ってたな。」
三橋半ベソで頷いてたよ。と泉はため息混じりに言った。あべ、おうぼう、と付け加えながら。
「気持ちは分かるけどねぇ。」
「…確かに。」
阿部は今、本人でも気づいていないかもしれないが有頂天なのだ。爆走というか暴走というか…。よほどあの球に惚れ込んだのだろう。だが…。
「三橋が固まってるんだよね。」
泉が困った顔で言う。三橋はオドキョドで常に動いているけど、あまり急に動いているからもうパンクしかけてる。と。
「…マジかよ……。」
おいおい、まだ朝練やったばかりだぞ。確かに昨日の今日だ。誰だって慌てる。でも…。
「花井、三橋の近くにオレと栄口を常駐させておいてくれないか?」
「あ、ああ。モモカンにも言っておく。」
その時、6時間目を告げるチャイムがなった。
「じゃあ、放課後。」
「おお、じゃあな。」
花井は小走りに教室へと戻る。戻って自分の席について横を見ると…阿部が1時間目から同じ姿勢で、同じ仕草で考え事をしていた。机の上にはまだ前の授業の教科書。
「おい、阿部。次の教科書。」
つつくと無言でばさばさと教科書を出す。適当にページをひらいてあとは一心不乱。
(今日の放課後から…どうなるんだろうか…)
花井は少しだけ、恐怖を感じた。
放課後、泉に連れられて三橋はやってきた。早速泉のスペアをもう一着借りてわたわたとしながら着替える。放課後なのでそこまで慌てる必要はあまりないのだが。
着替えが終わる頃、7組連中がぞろぞろとやってきた。挨拶を交わしながらも泉と三橋は外へ出て、チャリに跨ってグラウンドへと向かう。
グラウンドの端にチャリを止め、二人揃って金網のドアをくぐる。
「ちわっ」
「こ…こんにち わ。」
グラウンドには既に着替え終わった1組と3組の連中がグラウンド整備を始めている。二人もそれに混じろうとトンボを取りに行く。
泉は毎日のことなので既に慣れているが、三橋はどうか?と見てみると、最初は少しためらっていた感じがしていたが、すぐに昔を取り戻したようで、丁寧にトンボをかけている。しかも上手い。
「三橋。」
二人並んでトンボをかけながら、泉は話しかける。
「な、なに?泉く ん?」
他の部員ではダメだが、泉と田島であればようやくこうやって会話が成り立つまで三橋と仲良くなった。
「阿部、一体なんだ?」
いきなり昼休み現れ、田島の席につき、昼飯をかっこむように食べ終わると三橋に言ったのだ。
「リードはオレがやる。お前は首を振るな。首振る投手は嫌いなんだ。」
いいな?と言って始まったサインの練習。泉はぼんやりとそれを見ていたのだが…。
「これくらい理解しろ!」
いきなりプチキレした阿部に驚き、のっけからキョドっていた三橋は泣きだし、泉が仲裁に入った。
「阿部、お前、三橋と会ったのは今日が初めてなんだから、いきなり怒鳴るなよ。」
言われて阿部もハッとしたようでややあって「悪ィ」と謝ってきた。三橋は「お、オレ…」の後は「う…え……」とかの言葉にしかならずにまた阿部がキレそうになった。このレベルの言葉を理解できるのは田島ぐらいしかいないのに。
いつもなら疲れで昼寝している昼休み。金曜日までこんな恐怖の昼休みになるのかと思うと、泉はぞっとしていたのだ。
「お…オレ…まえ…の学校では…キャッチャー に 嫌われて た から。」
嫌々でもサインをくれるキャッチャーがいるのならいい、と三橋は答えた。
「…嫌々じゃなくて、嬉々としているっぽいところあるんだけどねー。」
ぼそっと呟いた言葉は三橋には聞こえなかったようで、大体地面が慣れたところで二人は終えることにした。
「ストレッチすっぞー」の花井の声に泉は目線で三橋に「行くぞ。」と誘った。うん。と頷いて、二人は小走りになってグラウンドの芝生が生えている所に集まった。
「三橋。オレ体結構硬いから、ほどほどにな。」
「う、うん。」
朝、二人で組んだ時、三橋は田島と同じレベルで背中を押してきたのだ。「み、三橋、もちっとやさしく…」と言わなかったらどうなっていたか…。
ストレッチが始まる。ゆっくりと体をほぐすとそれぞれの練習へと入る。
「三橋。」
ドキーン
男は背中で語るというが、三橋は全身で語る。
「あ…あべ くん。」
「昼休みのサインの確認とそれからまた少し覚えていくからな。」
その言葉にこくこくと頷くとずんずんと歩く阿部の後をひょこひょこ歩く三橋。なんか、こう、ドナドナの歌がかかってきそうな?という感じで。
泉は栄口の姿を探した。あっちも探していたのか、すぐに見つかる。
「これから土曜日までよろしく。」
「こっちこそ。」
パシッと手をたたき合った後、投球練習を始めた二人をちらりと横目で見て、ため息をついた。
そして練習が始まり、2時間の間に、5回阿部はキれ、3回三橋は泣いた。
阿部は栄口が担当し、三橋は泉が担当した。遠くを見ると、それを見ていたらしい花井が頭を抱えてるのが見える。
「今日の部活が終わるまで、一体阿部は何度キれるんだろう。」
「まぁ、10回はキれるんじゃない?」
二人のとりなしでようやくまた投球練習を再開したにわかバッテリーを見ながら、泉と栄口はこれからのことを考えて、はぁ、とため息をつきあった。