球種、9分割などは泉からきいていた。だが実際自分でとる場合とどう違うか。
 阿部ははやる気持ちを抑えつつストレッチを進める。
 三橋は泉の力を借りてストレッチをやっている。もう野球しないで何ヶ月もたつはずなのに、身体は田島レベルで柔らかかった。
「よし、終了。」

 さぁ、きた。

 阿部は立ち上がるとキャッチャー用具をとりにベンチへと向かう。三橋は泉と栄口から色々とアドバイスを受けているようだ。さかんにうん、うん、と頷いている。
 ベンチへ行くと先に着いていた花井が一言「泣かすなよ。」と言われた。どう扱えば泣かないのか分からないのでとりあえず曖昧な返事で誤魔化しておく。
 レガースをつけていると、走ってベンチへ来た泉が隣同士に置いておいた三橋のグラブも持ちながら「怒鳴るなよ。」と言ってきた。自分はそこまで信用がないのか?と少しカチンとキた。だが、とりあえずは。

とりあえずは。

「三橋。」
 用意の調った阿部は話しかける。ぴゃっと驚く姿にどうするか一瞬悩む。まぁいい。
「とりあえず、10球、投げてみてくれ。」
 キョドキョドしていたが、やがて視線がすぅっと定まる。ミットはやや高めの右より。

 シュッ

 スパーン

 放たれたボールはまっすぐ指定した所に収まった。今度は左、ボールギリギリの場所。

 シュッ

 スパーン

 また指定した場所に収まる。次々と場所を変えてみるが音は変わらない。快音。自分が指定してくるところに入ってくる。

 なんという、なんというコントロールの良さ。そして…

(こいつ…もしかして…)

 ストレートが来ない。ストレートの投げ方をしていない。

 それは後から尋ねようと思う。今はこいつの力量をみるのが先決だ。

「次、右カーブ5球!」

 うん。と頷くと振りかぶる。

 朝の練習は三橋の球を全て見るのに費やした。

 1時間目から阿部はノートとシャーペンを持ったままにらめっこの状態。次の授業が始まっても前の授業の教科書が平然と開いてあって、さすがに隣の机の花井がつついた。
(おい、今英語だぞ。教科書開けろ。)
 おぅ。とも言わず、ごそごそと机の中から英語の教科書を出したがいいが、全く開く気配すらない。何をやっているのか?とノートを見ると…

(うわ…)

 今朝見た三橋の球から推測された(と思う)データとそこから考えだされるリードの方法、他、色々と細々と…

 阿部はしばらく考え、カリカリと書くと、うーん、と唸って消しゴムをかける。そしてまたしばらく考え…

 花井は英語そっちのけで阿部の姿を見ていた。ノートはだんだんと黒くなっていく。だが、一番上に(三橋の決め球は「まっすぐ」)というえらくくっきりかっきりはっきりと書かれた文字だけがやけに浮いて見えた。そう、三橋の投げるストレートはストレートではないと教わったのだ。三橋も含めて全員それに愕然としていた。だから阿部は「ストレート」と呼ばず「まっすぐ」と言った。阿部とバッテリーを組んで半年以上経つが、こんなに真剣に取り組んでいる姿は初めてだった。

(阿部、それほど…)

 あのコントロールの良さに惹かれたか。あの恐ろしいほどの。

 確かに自分の投げる球に比べたら、三橋の球のほうが凄いことが分かる。一朝一夕でできることではない。田島や泉が言うには専用の「マト」が家にあるらしい。きっちり9分割してあって、その位置のみボロボロになっているという。恐らく高校に入ってもずっと投球練習はしていたのだろう。そうでもないとあのコントロールは…。
 確かに球速はトロい。だが、それを補ってあまりあるそれ。自分では到底無理なそれ。
(確かにエースに、欲しい。)
 主将として、花井は思った。だが、向こうは今回の練習試合のあと、どうでてくるだろうか。この阿部の努力は泡となってしまうのだろうか。

 キーンコーンカーン…

 チャイムの音にはっとしてしまった。慌てて「起立、礼」とおざなりにするとそういえばもう昼食なんだ、と気づいた。それだけ横に気を取られていたということか。
 阿部は「よし。」と言って弁当とペットボトルを持つと立ち上がった。
「あれ?阿部、どこ行くん?」
 弁当の支度をしてやってきた水谷が問いかける。
「9組。三橋とサインの打ち合わせ。」
 言っている間にもずんずんと教室を出て行く。姿が見えなくなった所で水谷が「はぁ。」とため息を漏らす。
「どうした?」
「いやぁね。」
 なんか今の姿みてさー。と水谷がちょっとうんざりげに言う。
「弁当じゃなくて花束持って「これからおつきあいお願いします」みたいな気迫があってさー。」
 さもありなん。水谷の言葉はまさに自分のそれと同じだろう。顔あわせをして二日目。相手は、見ているこっちがイライラするタイプの卑屈な性格の持ち主だ。…投げている時以外は。
「どうする?9組、行ってみる?」
 水谷が訊いてくる。少し考えて、花井は首を横に振る。
「三橋はまだ野球部のメンバーに慣れていない。多分阿部だけでいっぱいいっぱいになるだろう。」
 沸点の低い阿部に泉がどう対処してくれるかが問題だが…。
(いざとなったら栄口も9組に行ってもらうか…。)
 花井としては不本意だが悩みの多い昼食となってしまった。せっかくの昼食の味が全く分からなかった。
「とりあえず、あとで泉から昼休みの時の話を聞いておいたら?」
 水谷が花井の困った顔を見て、そう言ってきた。
「とりあえずか…そうだな。そうしよう。」
 時間を見ると昼休みも終盤にかかっている。昼寝するヒマはなさそうだ。
「しかしまぁ、すごいね、阿部は。試験勉強なんてメじゃないくらいノートに書き込んで。」
「え?」
 水谷がそれを知っているとは思わず思わず声を出してしまった。
「1時間目はなにやってんのかな〜?と思ってたんだけどさ、2時間目の休み時間に阿部、トイレ行ったろ?その時ノートが開いてたから覗いてみたら…。」
 なるほど。と花井は思った。
「無駄にならないといいなー。阿部の努力。」
 水谷がぼそりと呟いた。
「………そうだな。」
 花井もぼそり、と言い返した。