体育の授業は野球から陸上へと移った。
 三橋も幾分寂しい気分を味わいながらも嫌いな持久走をやっていた。走り込みはあまりしなかったので足がパンパンになってしまう上に頭が半分ボケーッとしながら適当に走っている。
「よ、みっはしー!」
 横からの声に見ると田島が楽しげに走っている。どうやら一周遅れているらしい。ややあって泉も「みはしー」と声をかけてくれた。
 でも…答えることができなかった。
 「見学者」として野球部の中に行き、そして誰かに「さっさと野球部に入部しろ!」と言われた後、田島にも泉にも監督にも挨拶をせずに帰ってしまった。そのことを謝ろうとしたのだが「ああ、あれ?あれは阿部が全部悪い。」「お前、ぜんっぜん悪くないから。」と先に言われてしまい、謝りの言葉も発することすらできなくなってしまった。
 あれから数日。田島と泉は前のように話しかけてくるが、三橋はあまり返事をよこさなくなっていた。野球部に入部しろ! あの言葉が、のどの奥に大きな魚の骨がひっかかってしまったかのように一言、ひとこと話すことが痛くなってしまったのだ。
 それが分かっているのか分かっていないのか…二人はいつものように話しかけてくれる。それが嬉しくもあり、同時に苦痛でもあった。



 授業が終わり、クラスへと戻ってきた三橋は、クラスが異様にざわざわとしていることに気づいた。全員がぜんいん、財布が、サイフが…と騒いでいるのだ。
 自分の鞄の中を見てみる。確かに…ない。クラスまるごと盗難にあったのだ。そのことを理解した時、一人の男子生徒がうろんげなまなざしで自分を見ていた。
「う……?」
「てめぇさ、体育始まる前にトイレとか言って、いったん校舎に引き返してたよな?」
 その言葉にクラスのざわめきが一斉にやむ。
「ダッシュでクラスに行って、サイフ盗んでどっか隠して、ダッシュで戻れば、持久走すればヘロヘロだよな?」
 冷ややかなまなざしがあちこちから降り注いでくる。
「おい、お前のカバンとロッカーと机の中、見せてもらうからな!」
 男子生徒は目で合図して、その友人たちが遠慮も呵責もなしに三橋のロッカーや机の中をあさりにかかる。
「や……」
 やってない。自分だってとられているのに…。
「おい!なんで三橋が犯人って決めつけるんだよ!」
 いきなり近くで大声がして三橋はひっくり返りそうになった。田島だ。
「当たり前だろ?ウジウジして、何考えてるか分からなくて、何でもやりそーじゃねーか。」
「だからと言って決めつけるのははえーだろ!」
 泉が援護射撃を行う。三橋の机は今日のぶんのノートと教科書と参考書のみ、と分かったとたんにわざと足で倒してノートや教科書を散らす。ロッカーはすでにぽいぽいと適当にとりだされ、わざと角を強く打ち付けた辞書が歪んだ形で床を転がっている。
「だって、このクラスにはこいつしかいねーじゃねーか?」
 グイッと胸ぐらを掴まれる。周囲からも蔑みの目。ああ、またこの目で見られているのか。
 頭からさぁーっと何かが下がってくるのが分かる。手が震える。

やってない。やってないのに。

 と、ガラッと扉が開き、担任が入ってきた。盗難の報をきいて、慌てて駆けつけたようだ。
「盗難…、サイフとられたのは?」
「全員です。…ああ、三橋を除いて。」
 侮蔑のまなざしで彼は報告した。担任が不思議そうな顔で近寄ってくる。
「今、こいつから、隠し場所を吐かしている所です。」
「ちょっと待った。三橋くん…だったか。君がやったのか?」
 声はでない。…なら、と首をぶんぶんと真横に振った。
「でもこいつ、いったん校舎にもどったんですよ。」
 確かにトイレに行きたくて、途中戻った。小のほうをして、慌てて戻ったくらいで全員のサイフなんて盗めるはずがない。
 言いたかった。でも口が上手く開かなかった。
「そうか…三橋君。放課後、ちょっと残って。」
 担任が何も感情をなくしたように三橋に言い放つ。
「…………」

 もう、なんでもいいや。と、思った。

 放課後、担任の質問に全て答え、「それなら君がやったわけではないねぇ。安心しなさい。私から話しておくから。」と言われても、もうダメだった。

 次の日から、三橋は学校へと来なくなった。