「あ…あの…?」
「同姓同名だと思ってた。」
 モモカンの話に、何故か水谷含む課長軍団は揃って口をあんぐりと開けた。
 「三橋って良くは分からないけど、とんでもないヤツというのはわかった」とは事務員の西広のみで、他…特に阿部はあいた口がふさがらない状態まさにそれだった。
「良く他の会社のヘッドハンティング受けませんでしたね…」
 水谷のため息混じりの声に彼には優秀な秘書がついてたから。とモモカンが笑う。
 三橋たちがこのフロアを去って5分後の会話である。阿部が耐えきれず質問したのだ。三橋というアレはどのような人間なのかを。
 モモカンは清々しく答えてくれた。大体を。簡単に。「あの」ミハシだとわかった瞬間の阿部の目の輝きようったらないね。とは栄口の談。今も阿部の瞳は爛々と輝いている。
 それだけでもショックなのに、つい最近までアパートの管理人だということを花井が思いだし、現在に至る。
 モモカンはでっかい胸はってどーんと立っている。口には笑み。
「え、じゃあ仮眠室…」
「三橋くんとナイトの家。」
 巣山の問いにモモカンにこやかな返答。
「阿部、無理矢理泊まりに行くと田島と泉がうるさいよ。」
 良く言った栄口。と花井が安堵する。舌打ちする阿部。そこで舌打ち?!と沖。
「三橋くんの論文終了まで呼び出しはダメよ。花井くん、阿部くん。他の課も、事務経理に関しては私を通して言っておけば、手伝いに行ってる田島くんか泉くんに伝えることできるから。」
 「はい。」と事務メンバーが応える。

 はあい。と嫌がりながらも返事する阿部。はい。と日常変わらない返事は他の面子。
「じゃあ今日もバリバリ仕事してね!労働基準法以内で!」
 この言葉には近くにいた部下もくすくすと笑う。
「阿部!仕事!」
 何考えているのかだだもれ状態の阿部に、仕方なく花井が声をかける。
「ああ…」
 阿部は暫く突っ立ったまま、三橋が出ていったほうを見ていた。
 後に言うキモベ課長というあだ名の由来はここから始まったというのは栄口の言葉。それに関してツッコミを入れるのは誰もいなかったということである…。




途方にくれていた。

 あれから一週間経過して、三橋の論文に一区切りがついた所であった。
「え、英語…!」
 三橋がソフトからスペルチェックをかけた所、余りの多さに目を白黒させたのだ。
 前回の寄稿の時の悪夢再び。と続ける。専門用語のオンパレードに知らない英単語。脚注の多さ…
 三人ともプリントアウトされた論文とパソコンの画面を見て、深いため息をついた。
「あそこで一番英語うまいのは?」
「花井じゃね?」
「阿部が黙んねーだろうな。」
「ああ。」
 泉と田島が脱力しながら話し合う。三橋は困った顔をしてパソコンとプリントアウトした論文を見ている。
「まあ、こういう時はアレだ。」
 田島がちゃっ、と受話器を持つ。
「モモカン?」
「いんや、シガポ」
 ぴぽ、とナンバーを押して、「田島です。」とやりとりを始める。
「他部署にまわしたら三橋がおっかねぇぞ。」
 泉が言うと田島は「わかってら」と表情に出す。
 結構長い時間話して、田島は一旦受話器を置くと、うん、と頷き、二人に「シガポとモモカンがどうにかしてくれるって。」
 ちょうどモモカンもシガポの所にいたんだ。と田島。「そりゃグッドタイミング」と泉。三橋は良くわからないとキョドっている。
「誰がどうにかしてくれんだろーなー。」
 10分後、モモカンから連絡が入り、事務組が入ることがわかるまで、三人でのんびりとジュースにポテトチップスというのどかな午前中のおやつをとっていたのであった。

 何故か先に

「オレ、渉外だから英語もできるよ。」

 栄口がやってきた。

 「す ごい!」と三橋は目をキラキラさせている。さっきのモモカンからの内線はこれだったのか。と二人は納得する。
 「西広たちは?」とたずねると、「月末だからちょっと忙しいんだよ。」と答えがあった。なるなるほど。と今度は三人が納得する。
 「安心していいよ。阿部と花井には話していないから。」と苦笑まじりで言われた時、泉と田島から安堵の声が出た。
 「専門用語は説明お願い」と言われた後、プリントアウトされた論文と赤いボールペン片手に読み出す。たちどころに増えていく赤い色に三人は内心ビビりながら栄口の姿を追う。
 「序章と一章はできたかな?」と栄口が言ったところで強烈な音。おやつ休みだ。
「す、すごい!栄口く ん、あり が、とう。」
「どういたしまして。」
 ニコニコ顔で返され、三橋はまたイイ人!と目がキラキラ。栄口の本性を知っている田島と泉にはあまり楽しいというものではない。
「三橋!茶にしようぜ!」
「う、うん…」
 添削された論文をちらりちらちらと見ている三橋に泉が「論文は逃げねぇから」と苦笑まじりに説得された。
「さ、栄口く ん。」
「ん?何?」
「…ケーキ…だ、だいふく!」
「え、と。大福にお茶かな?」
 田島が「了解!」と緑茶の準備を始める。泉はしまってあった大福を皿に移す。
 四人が揃って、お茶タイムとなった。
 「三橋、栄口、休み時間は仕事の話はナシな!」と田島と泉に言われ、ちょっと驚いた顔になったが、目の前の大福に心奪われている三橋はうん、と頷いた。
 大福と緑茶の時間は、栄口の仕事の話で大いに盛り上がったことを全員が楽しかったという感想で締めくくられたのであった。

 栄口の教え方は的確で、三人ともに唸った。専門用語は注釈をつけ、意味が通らないところや明らかに間違えている所は容赦なく赤ペンを引かれたり、付箋が貼られた。
「こ、こだけ なのに…」
 ガーンという音が聞こえてきそうな三橋の姿に栄口、田島、泉は苦笑いを浮かべると、まあ出来る限りの手伝いはする。と約束した。その時、内線が大きな音をたてて鳴る。わったったと慌てながら三橋がとる。かけてくる相手はモモカンか篠岡。今回はモモカンだった。
「ろ、六人…?」
 会話を聞き流していた三人は、三橋の驚いた声に顔を見合わせる。
「わ、わかり、まし た。」
 すぐにセキュリティ関係のシステムを立ち上げ、準備を始める三橋に恐る恐る栄口が「どうしたの?」とたずねる。
「事務……なくて課長…」
「え、花井や阿部も来るのか!」
 すかさず訳した田島がぎょっと三橋を見る。何となく分かった二人が生ぬるい視線で出入口をみやる。

 どーせ阿部がぎゃんぎゃん騒いだんだろ。

 次いで交わされた視線には考えが一緒の確認と諦めのそれがあった。田島も考える事は一緒だったらしい。

 阿部を拒否ろうぜ!

 うぇっ!?

 二人の会話に思わずうん。と賛同した泉と栄口であった…。


 6人がどやどやとやって来たのは30分かからない時間であった。何故かいる水谷と、明らかにお目付け役として来た花井の表情の正反対さに三橋は少し驚いた。
 「これだけ人がいればすぐに終わるだろう」と巣山が言う。確かに面子(阿部はともかくも)は英語を理解している、らしい。章ごとに二人ずつ担当することがあっという間に決まり、三橋と田島と泉はその対応に大わらわとなった。花井も最初の時は渋っていたが、阿部の抑え役として論文を読むうち、「続き読みてぇ!」と言い出し、阿部のニヤリ笑顔を見ることになったのである。
 「三橋、ここ、全部書き直ししたほうがいいよ。」と指摘を始めたのは西広。本当はプログラムのこの部署には廻されることはなかったのだが、本人の強い希望とモモカンの目にとまったことでこの部署にいる。「分からない事があったら西広先生に聞け。」がこの部署の不文律である。事務の仕事がない時はありとあらゆる課の手伝いをしてくれるありがたい存在なのだ。
 西広と沖が二人で話し合いながら赤ペンでどんどん指摘してくる。また、他のコンビから尋ねられても全く動じず、にこやかに答えている。
「やっぱり西広先生だなぁ。」
 田島が栄口から渡された原稿をうんうん唸りながらごちる。さもありなん。と泉が軽く頷く。
 紙をめくる音、ペンでマークする音がしばし続いた。


作業が完了したのは、三日後だった。全員がふぅ、と息をつく。
「最新の情報って凄い…」
 沖が呟き、西広や巣山が頷いている。
 三橋の論文は一言で言うと「凄かった」。
 どこから手に入れてきたそんな論文!を引用しつつ、論点を展開していく。まっすぐに。そのまっすぐさが逆に恐ろしいものである。
 「仕事に戻りたくないなぁ」と水谷の呟きに花井は思わず苦笑してしまった。
 「てめえの仕事忘れんな!」と早速阿部の命令が入る。
「あ ありがとう ご、ざいます。」
 ぺこりと礼をしている三橋は半泣き。感極まったようだ。泉と田島が宥めている。
「あ、中身は出版されるまで極秘。」
 田島が人差し指を唇に立てながら言う。当たり前。と珍しく花井がまぜっかえす。ちょっと興奮しているようだ。水谷に「落ち着け」と言われている日にはオレは飛び降りてるかもしれかい。2階から。と阿部は思っていたかもしれない。それだけ三橋のそれは面白いものであり、日本と海外のネット事情を見つめ直すいい機会となった。
 「そろそろ戻るぞ!」の阿部の言葉がなかったら、三橋を質問責めにしていたであろう。
 田島と泉以外が名残惜しげに研究室から去る。
「ほとんど出来上がり、だな!」
 「う ん!」と元気に応える三橋の頭をくしゃくしゃにすると、「近いうちに三橋のおごりで飲み会!」と田島が提案。泉が珍しく大金がかかるそれに乗っかる。
「…いい よ!」と三橋の答えも数瞬の間があいた。

 論文はすぐに提出され、モモカンのもとには苦情の電話が殺到し、流石のモモカンも「仕事にならないわね。」と苦笑した事が、後々までの語り種となるのであった。