三橋は起きると、よいしょと足を持って、慣れた様子で車椅子へと移動。パジャマに上着をまとったまま、視界の中から一冊の分厚い本をすっかりやせ細っている太ももに置いて、自室となってる仮の宿からキッチンと呼んで良い給湯室へと車椅子を進める。
今日はちょっと遅かったからパンを焼こうと冷凍庫に入れておいた食パンをオーブントースターに入れ、ピッとボタンを押す。コーヒーメイカーを動かして3人分のコーヒーを作りながらIHヒーターでスクランブルエッグを作り出す。出来上がったらサラダの準備。そして悪いとは思うけど、昼はサンドウィッチで我慢してもらおうと冷凍していない食パンに手をつけ、辛子バターにレタス、昨日余分に揚げておいたコロッケを挟んで、持ち込んだ分厚い本を重しにする。そうするとコーヒーの香りと朝食の香りがあたりを占拠する。
「おはよー、三橋!」
「おっす、三橋。」
「お はよう。」
こっちもまだパジャマ姿の田島と泉がやってきて、にぎやかな朝食と相成る。挟んでおいたサンドウィッチを昼ご飯として手渡す事も忘れない。
また阿部にかり出されるよ。とかバーチャル・ネット・ゴーグルのあそこのビスがゆるんでいるから仕事前に直しておかなきゃとかひとしきりぎゃいぎゃい騒いだ後、田島と泉が食器などを洗って拭いて、歯を磨いて仮眠室へと戻り、服を着替えて顔を洗って三橋にそれぞれ「行ってきます。」のご挨拶をしてからたたーっと走っていく。時計を見ると8時25分。ここからだと到着まで2分なので十分間に合うだろう。
三橋は残りのコーヒーをカフェオレにして、砂糖を多めに入れてかき回し、一口飲んでふぅ、と息をつく。
さぁて、今日も勉強だ。
自分の部屋に一度戻り、服に着替えると、首から携帯やら財布やら入れたポーチをかけ、研究室へと車椅子を進める。田島や泉などとフロアも位置も違うので、まず会うことはない。
研究室へ3つのパスをクリアーして入ると、まず3台あるパソコンを立ち上げる。車椅子の後ろから自分のノートパソコンを取り出すと、ごそごそとそのパソコンに繋げる。そのままノートは放ったままで、まず会社のパソコンから自分宛のメールが来たかどうか確認。…やっぱり来ていたことに安堵し、内容を見る。答えは「是」。よし。と思いながら自分のノートパソコンをいじる。様々なソフトを起動しているが、ストレスは全くない。こっそり3台のパソコンを並列に繋ぎ、ノートパソコンの維持にあてているのだ。
「………よ し。」
いつもの通り配置が終わると、今度はもとのパソコンに向かい、昨日まで書いていた論文を出す。他の者が研究しつくしていたと思っていたら、自分の研究と全く重なっていなかったのが分かったので、この論文を提出する事にした。ここまでたどり着くのに研究用の生物の生命をいくつか天に送っていた。いつも痛い気分になるが、この際は仕方がない。死亡した生物に関してはモモカンに一任してある。
「今日 も 勉強。」
学術書を取り出し、読み進める。昨日検出したデータは今、パソコンで解析をかけている。まだ時間がかかる為、他の分野の本を読んでいるのだ。この論文が終わったら、そちらの分野の論文を書かないといけないな。と思っているので。
ばべびぼーっ、ばべっびぶーぼー
とっても特徴のある音にはっと顔を起こす。10時はともかく、昼を告げるモモカンからのメールである。何故「ガチャガチャバンド」という曲なのかは良く分からない。ただひたすら賑やかな曲であることは確かだ。
メールを開くと「三橋君が頼んでいた書籍が届いているから、1時半に研究室に向かう」旨が書かれていた。
了解のメールを送ると昼ご飯。という事を思いだした。腹が。
ぐー。
鳴った所で一旦研究室から出て行く。給湯室に朝作っておいたサンドウィッチを忘れてきたのだ。ここからだと給湯室まで5分以上かかる。エレベーターも混んでいるのでどうしようか迷っていると、携帯に電話が入る。相手は田島。
「もし もし?」
「おーっす。三橋。元気してたかー?」
「う ん!」
「泉と栄口が昼食一緒にとろうって。三橋も来いよ。」
「あ … サン……給湯室…」
「サンドウィッチを給湯室に忘れたんか。バカだなー、三橋も。」
「もう出発したのか?ならオレが取ってくるから、先に1階フロアに行っててな。」と言うとガチャと電話が切れてしまった。決定事項らしい。
「お茶………おご ろう。」
決心をつけて、エレベーターで1階へ。
どうやら昼食は、朝弁当を買ってきたか、昼休みちょっと行って弁当を買ってきたか、三橋たちのように弁当を作ってきたかのメンバーで構成されたようだ。栄口のほかに巣山、沖、西広が揃っている。泉がさっとやってきて、車椅子を押してくれる。
「あ ありが とう!」
「いいって。」
その代わり持っててな、と膝の上にサンドウィッチが置かれる。う ん。と返事すると、皆が集合している場所へと車椅子は進む。
「泉、車椅子の押し方上手くなったなー。」
自分たちのジュースを買ってきていた田島が三橋にもジュースを配りながら言う。三橋は泉の返答が気になる上に田島に礼を言わねばとあたふたしている。慣れてきた栄口がまぁまぁと落ち着かせる。
「まぁ、今までこうしたお礼はしたことないからな。」
確かに。と田島が頷く。え?お礼?と二人をきょとんとして見ると
「アパートの時、いつも朝ご飯とか夕ご飯とか作ってくれてたけど、土日とか何もできなかったから。」
「感謝しきれないくらい感謝してるんだぜ?オレも泉も!」
そんな言葉を言われたら……
「あ。三橋泣いた。」
「泣かせた…泉と田島が泣かせた。」
沖と巣山が批難でもないそのままの言葉を二人に言う。
「お オレから も、ありが と う。」
目を西広から渡されたハンカチで拭いながら二人の顔を見ながら言った。
「いいってことよ!それより食べようぜ!」
「おう!」
二人とも笑顔でそれに答えてくれる。
「あ、沖、それうまそう。」
「サンドウィッチ一口と交換。」
「よっしゃ…三橋、いいよな。」
「う ん。」
「お、美味い……絶妙なソース加減…」
「市販のコロッケサンドって、コロッケよりもソースの味しかしねーよな。」
「うん。ああ、まさに手作りの味……お前らうらやましすぎ!」
自分のを食べるか?と泉と交渉して一口貰った巣山が援護射撃を行う。
「どーだ。羨ましいだろ!」
「一家に1三橋だぞ!この世の中は!」
三橋以外がわははと笑う。
「え……へ???」
ついていけない三橋にまぁまぁと沖がペットボトルのキャップをとって、三橋に手渡してくれる。
「ありが とう。」
「どういたしまして。」
こんなに優しい所にいられて、幸せだ。
三橋は、この幸せを噛みしめていた。この人たちは優しい。そして包むなにかも優しいものだ。
昼食を終えて、わいわいと喋りあっていると、すぐに1時。仕事に戻らないといけない。
自分は夕食の買い物をすると言ったが、田島から「あとでメールしてくれれば帰りに買ってくるぞ。」と言われ、うんと頷く他なかった。まだ研究室については言葉に出してはいけないからだ。その代わり栄口が「今、エレベーターが混んでいるからね。後から来たほうが良いかも。」と助け船を出してくれた。栄口はモモカンから三橋の身辺を調査した事があり、三橋が今何をやっているか知っている数少ない者の一人である。その言葉に甘えることにした。
「じゃあ三橋、あとでな!」
「今度夕食招待してくれな!」
「三橋、美味しかった!」
「またあとでな!」
「三橋もおつかれ?」
メンバーを乗せたエレベーターが閉まる。振ってた手を下ろし、三橋はまだ混んでいるエレベーターが空くまで少し待つ。待つ事は嫌いではない。嫌な時はあったけど、焦る時もあったけど、嫌いではない。
どうせすぐに空くんだという結果が分かっているからだ。
すっかり空いたエレベーターに乗り込み、目的の階のボタンを押す。もうエレベーターは自分一人しか乗っていない。車椅子用のパネルをいじって、閉のボタンを押すと、エレベーターは目的の階までノンストップで上がっていく。
「午後からも また 勉強。」
フヒと笑いながら、ドアが開いたエレベーターから車椅子をこぎ出した。
3つのパスのチェックを通すと、既に研究室にモモカンがやってきていた。
「はい。また難しそうな本ね?。」
「は い。難しい で す。」
正直に答えると、「やっぱり難しいのねー。」と言って笑った。それから論文の進捗状況と今朝来たメールについて話し合うと早速モモカンサイドでも動くことを言われた。
「近いうちに栄口くんをゲスト扱いするかもしれないから、その時よろしくね。」と言われたが、昔だと嫌がっていた事が今はすんなりと「は い。」と言える。
本はまた重い。ずり落ちないように片手で本を持ち、カーブしないようにゆっくりと車椅子を押し、近くの机の上に置くと、午前中にやっていた解析結果が出てきていた。
「……こうなるから……こうなって……」
ぶつぶつと言いながら、メモに色々と書き殴っていく。
15時の合図はまた忘れてしまっていた。
今日の内容をどう発表していくか考えているうちに、ボーンボーンとグランドファーザーオクロックのWAV音がパソコンから鳴り出した。5時半だ。戻って夕食……
「う………」
そこで気づいた。田島に夕食の買いだしメールを送っていないことに。
携帯電話を見ると、案の定メールと不在着信の嵐になっていた。慌てて田島に電話する。
「三橋、どうした?」
すぐに電話に出てくる田島。ざわざわしている所をみると、まだフロア内なのだろう。
「か かい もの。」
「三橋、昼寝してたんだろ。すっかり忘れたんだな。」
カッカッカッと笑って田島は「じゃあ、たまには外に食べに行こうぜ?」と言ってきた。
「そ と?」
「そう。水谷が美味い店知ってるって。これから課長の残業なし組が集まって行くって。三橋が買い物忘れたって言ったらこれだぜ?」
「え……」
「だから、早く行こうぜ!」
「う ん。」
差し出される手に、すんなり合わせられる手。
昔はこんなことできなかったし、させてももらえなかった。
「じゃあ、1階のいつもの所で!」
「う ん!」
言って、電話が切れた。三橋はノートパソコンに論文とデータのバックアップと、パソコンにデータの保存を行うと電源を切る。そして部屋の電源も半分落とし、研究室から出る。エレベーターはまだ混んでいない。
滑り込むと、1階はすぐ。
出てきた所で、既に待っていた西広がいて、「初めて車椅子押すから、痛いこととかあったら言って。」と言われながら、集合場所まで車椅子を押してくれた。
集まったメンバーは栄口、巣山、西広、沖、水谷、田島、泉という早々たるメンバーであった。阿部と花井は後から合流するらしい。
「実はまだ、三橋の歓迎会をやっていなかったんだよね。」
車椅子を押しながら、栄口が三橋に言う。
「そうそう!だからオレたち車椅子でも入れるような美味しい店を探してたんだよ!」
なー、と水谷が周囲を見回すと、田島と泉以外の面子がうんうんと頷いた。
「水谷の他フロアの女子と仲良くて良かったと思った瞬間だな。」
巣山が笑いながら言う。
「いーだろー?女の子は大切にしなきゃ!」
将来を決める時は性格と料理の腕前かな?とか将来について語り出す。
「三橋、性格も良いし料理もうまいから、女性だったら引っ張りだこだったな!」
田島に言われてきょとんとする。オレが?
「真面目だし、正直だし…ウソはつけないからな。」
「あー、三橋へそくり作るのヘタそう!」
沖が言うと全員がどっと笑った。
「お れ、女の子 じゃ ないっ」
怒った感じで言うと、そりゃそうだよ!とまた笑う。どうやら今日は全員に笑い病が伝染しているらしい。
「三橋、酒飲める?」
「少し…」
「なら平気!明日響かない程度まで飲もうぜ!」
「水谷が一番最初にひっくりかえるじゃん。」
水谷の言葉に栄口が混ぜっ返す。「ヒドッ」といいながら地面にののじののじ……
「はいじゃまー。」
車椅子を押していた巣山がわざと方向を変え、水谷を轢く。尻餅ついた水谷を全員が笑う。三橋もついついぷっと笑ってしまった。
「あ、三橋笑った!」
田島が指さして嬉しそうに言う。泉が「人を指さすな!」とその手をはたき落とす。
夜8時、全課長と田島、泉、三橋と水谷が勢揃いして中華の円卓にずらりと揃っていた。手にはビール。この席がとれたのは、田島が3回電話してもでなかった所で寝ているんだと思って、水谷と栄口に言って、水谷がこの席を早速予約したとの事であった。連携はすごいと思う。
「じゃあ、会社の発展と、三橋の入社に」
かんぱーい!
かしゃんかしゃんとコップが打ち合わされた。
夜10時
「三橋。明日は朝ご飯いいぞ。」
「そうそう。たまにはオレらが作る。」
「え?」
「明日土曜日。」
「休みだからな!」
泉と田島がめいめいに答える。三橋はどうしようか考えてそっと「お願いしま す。」と言った。
「オレの料理の腕前見せてやる!」
「パンしか焼けないくせに。」
「泉も同じよーなモンだろ?」
「お前に言われたくない。」
三人が笑いながら、借宿となってる仮眠室へ戻る。一人一部屋になっているので、三橋は一番手前の部屋で別れ、自室へ戻る。
ベッドに転がり、パジャマに着替えてほうと息をつく。今日は色々あった。目を閉じればすぐに眠気が降りてくる。
ああ、こんなに幸せな夜は久しぶりだ。
三橋はそう思いながら眠りについたのであった。今日は幸せな夢を見るに違いない。
思った瞬間、三橋からは寝息のみの音しかなくなった。
おわり
まだ本編、中盤にもさしかかってないのに…… 笑